ルチオ・フルチ(Lucio Fulci イタリア語発音: [ˈlutʃo ˈfultʃi]1927年6月17日 – 1996年3月13日)は、イタリアのローマ出身の映画監督、脚本家。ホラー映画・スプラッター映画を中心に多くの作品を発表した。没後、批評家によって再評価され、スプラッター映画のジャンルにおけるマエストロと捉えられている。また、サム・ライミやクエンティン・タランティーノは”フルチの映画から多大な影響を受けた。”とインタビューで度々語っている。
古典的なジャンル映画(コメディ、ホラー、スリラー、マカロニ・ウエスタンなど)を監督した。視聴者を挑発し、衝撃を与えようとするテーマとスタイルを含んでいた為、自身を”ジャンルテロリスト”と呼んでいた。日本で劇場公開された本数は少ないが、ビデオやテレビ放送などで一定の知名度と人気は獲得していた。
1979年に南国を舞台にしたゾンビ映画『サンゲリア』を監督したことによってフルチの映画監督人生は180度変わる。強烈な人体破壊描写と全編に流れる耳障りなノイズは多くのクリエイターに影響を与え、ジョージ・A・ロメロと双肩を成すゾンビ映画監督、もしくはマスター・オブ・ゴアという肩書きを手に入れた。本作は、ロメロの『ゾンビ』に便乗する形で『Zombi 2』と続編のように公開したため、続編が作れなくなったダリオ・アルジェントに紙面で苦情を述べられたが、「ゾンビは元々ブードゥー教の伝承であり、権利をどうこう言う筋合いはない。」と返した。そのロメロが『ゾンビ』の作中で込めた「消費社会への風刺」といった作風に対しても「ああいったテーマを映画に込めるのはちゃんとした娯楽作品を作れない人間のやることだ。」と酷評している。
『サンゲリア』のヒット後、日本でも多くのビデオソフトが題名に「ルチオ・フルチの~」と冠して発売されるという、大巨匠なみの栄誉に浴している。ファンの多くは『サンゲリア』『地獄の門』『ビヨンド』を絶頂期の三大傑作とし、続く『墓地裏の家』『ザ・リッパー』でやや勢いを失い、以降の作品はほとんど失敗作とする意見が多いが、上記の作品以外にも今尚カルト的人気を誇る作品も少なくない。娯楽映画の体を成しながら難解な結末が用意されている事が多く、その点で賛否は大きく分かれる。作品毎に作風が変化してくるところも特徴的だった。60代半ばまで多作を続けたが、最後の数年は健康を損ね第一線を退いていた。ちなみに、生前撮った自らの監督作品で最も嫌いなのは『サンゲリア2』である。
1996年、ダリオ・アルジェントの製作による『肉の蝋人形』を監督する予定だったが、糖尿病の合併症により死去した。当初、彼はフラミニオ墓地に埋葬され、現在はローマのローレンティーノ墓地に埋葬されている。