リュー・チャーフィー(劉家輝、英名ゴードン・ラウまたはゴードン・リュー、1951年8月22日 – )、本名?錦熙、中国広東省生まれ。1970年代末から1980年代の間、ショウ・ブラザーズのカンフー映画で活躍し、監督も行った。
リュー・チャーフィーは劉湛の養子であり、彼の二人の実子ラウ・カーリョンおよびラウ・カーウィンとは血のつながりがない。劉湛が洪拳の名家林世栄(その師匠が黄飛鴻)の直弟子だったため、リュー・チャーフィーは幼いころよりラウ・カーリョンの厳格な武術指導を受けて育ち、その後のアクションスターの基礎を築いた。
リュー・チャーフィーは1951年に生まれ、幼い時から劉湛に師事した(しかし実際はラウ・カーリョンの指導を受けていた)。1971年に中学を卒業後、昼間は仕事をし、夜は劉湛の指導を受けた。
1973年、リュー・チャーフィーはラウ・カーリョン製作の映画『殺出重圍』に出演し、映画界に入った。その後、彼の紹介で張徹監督の率いる台湾の映画会社長弓電影公司に参加。しかしこのころ張徹監督はデビッド・チャン、ティ・ロンなど花形俳優を擁していたため、しばらくは重要な役どころが巡ってこなかった。1976年、彼は長弓電影公司での契約を終えて香港に戻り、義兄ラウ・カーリョンの監督する『ワンス・アポン・ア・タイム 英雄少林拳』で重要な役どころを演じるが、成功には至らなかった。1978年、『少林寺三十六房』にてようやくカンフースターの仲間入りを果たす。この映画は大成功を収め、この年の香港十大映画にノミネートされたのみならず、外国でも上映され、この映画により、彼のスキンヘッドと仏僧のイメージは世界中に広まった。1980年代、カンフー映画ブームの衰退とショウ・ブラザーズの衰退により、彼はアクション映画で敵役を演じたり、テレビへと転身した。
2003年、彼はクエンティン・タランティーノ監督の『キル・ビル』シリーズに出演し、パート1では敵役を、パート2では白眉の和尚役を演じている。
2011年9月、脳梗塞の発作を起こし、その際に階段から転倒。この時の怪我で下半身不随になり、現在では車椅子での生活を余儀なくされている。