ブライアン・デネヒー(Brian Dennehy, 1938年7月9日 – 2020年4月15日)は、アメリカ合衆国コネチカット州出身のアイルランド系アメリカ人俳優、映画監督、脚本家、映画製作者。本名は、ブライアン・マニオン・デネヒー(Brian Manion Dennehy)。
AP通信の通信員の父と看護師の母のもと、コネチカット州ブリッジポートに生まれ、ニューヨーク市ブルックリンで育つ。3人兄弟で、弟が2人いる。うち、末弟はFBI捜査官。
高校時代は、アメリカンフットボールに打ち込んでいたが、教師の勧めで学校演劇の『マクベス』に出演したことから演劇に興味を持つようになる。高校卒業後はフットボール奨学生としてコロンビア大学に入学、歴史学を学び、学士号を取得。
1959年、アメリカ合衆国海兵隊に入隊、5年の軍隊生活を送るが実戦経験は無く、米国本土勤務が主で、一番遠い任地は沖縄の米軍基地だった。エール大学で演技を学び、バーテンダーや、株式仲買人、セールスマン、トラック運転手などをしながら、オフ・オフ・ブロードウェイの舞台に立つ。プロとしての初舞台はチェーホフの『イワーノフ』だった。
1976年、マイク・ニコルズ演出の舞台『ストリーマーズ』に出演。
1977年から、『刑事コジャック』、『M*A*S*H』、『ダラス』などのテレビドラマにゲスト出演し、『ミスター・グッドバーを探して』の外科医という小さな役で映画デビュー。以後、テレビドラマへのゲスト出演のほか、単発のテレビ映画では主演も務めるようになり、『タッチ・ダウン』、『ファール・プレイ』、『10』などの映画にも出演、端役ながらそれぞれに違った役柄を次々にこなしてゆく。
1982年、アクション映画『ランボー』に出演、シルヴェスター・スタローンを追う保安官役で強烈な印象を残し、以降『ネバー・クライ・ウルフ』、『コクーン』、『シルバラード』、『F/X』などに出演し、大作、話題作に欠かせない名バイプレイヤーとなる。身長188cm、体重100kg超という堂々たる体躯でその存在感を示した。
1987年には、ピーター・グリーナウェイ監督の『建築家の腹』に主演、”デネヒーの演技のショー・ケース”と評され、シカゴ映画祭最優秀主演男優賞を受賞。
舞台でも、1986年にシカゴのグッドマン・シアターで『ガリレオ』に主演、他国での公演も行ったピーター・ブルック演出の『桜の園』にロパーヒン役で出演(日本公演には出演しなかった)するなど、1980年代に最も活躍した映画俳優の一人となった。
1990年代に入っても、『ブルーヒート』、『推定無罪』、『F/X2 イリュージョンの逆転』等に出演するが、活躍の場は映画からテレビへと移っていく。1993年からは、シカゴの警察官を主人公にしたHBO制作のクライム・ミステリー『Jack Reed』シリーズで初めて製作総指揮を務め、1994年には同シリーズで監督デビューを飾った。その後も数本の監督・脚本・主演のテレビ映画を製作している。また、同時期から舞台活動を活発化させ、1992年にはユージン・オニールの『氷人来たる』に主演。以後、オニール作品の上演は彼のライフワークとなってゆく。1998年、初演から50周年記念上演となったアーサー・ミラー原作の『セールスマンの死』で主人公ウィリー・ローマンを演じ、シカゴ公演の後、ブロード・ウェイ公演も成功させ、初のトニー賞を手にしたほか、2000年には自らが製作総指揮を務めたテレビ映画版でもウィリー・ローマンを演じ、2005年にはロンドン公演も果たした。
2003年には、ヴァネッサ・レッドグレーブとともに『夜への長い旅路』で2度目のトニー賞を受賞した。その後も、2007年には『Inherit the Wind』(クリストファー・プラマー共演)、『マイ・フェア・レディ』にイライザの父親役で出演。2009年には『楡の木陰の欲望』でイフレイムを演じ、2010年1月には、シカゴのグッドマン・シアターでサミュエル・ベケットの『クラップの最後のテープ』とユージン・オニールの『ヒューイ』という2作品に同時に主演するなど、精力的な舞台活動を続けていた。
2020年4月15日、コネティカット州ニューヘイブンにて逝去。81歳没。死因は自然死。逝去は実父がかつて勤務していたAP通信によって報じられた。
実在の連続殺人犯ジョン・ウェイン・ゲイシーを演じた『To Catch a Killer』や、トニー賞を受賞した『セールスマンの死』などで6度、エミー賞にノミネートされていたが受賞歴のないままこの世を去る結果になった。