サム・J・ジョーンズ(Sam J. Jones、1954年8月12日 – )は、アメリカ合衆国の俳優。
俳優としての特徴
イリノイ州シカゴで生まれ、カリフォルニア州サクラメントで育つ。
ジョン・ミリアス監督の『ビッグ・ウェンズデー』(1978年)にエキストラ出演した後に俳優デビューし、ブレーク・エドワーズ監督の『テン』(1979年)に端役出演の後、1980年の主演映画『フラッシュ・ゴードン』で知られるようになる。固定されたイメージのために伸び悩み、テレビ・シリーズのゲスト出演や低予算のアクション映画に活路を見いだしたが、キャリアは萎みかけていた。そんな折り、1980年代中頃からは東南アジア映画にも進出し、1980年代後半からは米国本土の低予算アクション映画で主役のみならず、悪役も演じる様になり、新境地を開拓した。その後は特に代表作には恵まれないが、『テッド』『テッド2』で本人役で出演し話題になるなどして、今日に至るまで息の長い活動をしている。
東南アジアでの活動
キャリアが衰退する1980年代半ばには香港資本の残酷描写の多いベトナム戦争物『ジャングル・ヒート/戦慄のベトナム開放戦線』(1984年/未/ビデオ)に海兵隊員役で出演したが、出番が多くなく、パッチワーク的なチグハグな出来映えの作品だった。
1980年代後半にはフィリピン・ロケ作品に立て続けに主演し、エディー・ロメロ監督の『ゴリラ・フォース』(1988年/未/ビデオ)や『ウルトラマンG/ゴーデスの逆襲』(1990年)のアンドリュウ・プロウズ監督の『ドライビング・フォース/地獄のモンスター・トラック』(1988年)、シルヴァー・スター・フィルム社の『トライゴン・ファイヤー』(1989年/未/ビデオ)がある。また、同時期には米国本土で撮影された『サイレント・アサシン』(1988年/未/ビデオ)ではリンダ・ブレアとマコと共演し、韓国の職人監督であるイ・ドゥヨンが監督を務めていた。
1990年代に入ると、ジャン=マイケル・ヴィンセントと共演した戦争アクション物『バトル・ストーム』(1990年/未/ビデオ)に敵役で出演した。監督はタイのP・シャロンが担当し、フランス資本との合作だったが、日本では米国映画として紹介された。因みに、日本人俳優の堀田真三が旧日本軍役で端役出演していた。また、1991年には香港で活躍したアクション女優であるシンシア・ラスロックが主演したインドネシア映画『ブルー・リベンジ』(1992年/未/ビデオ)にビリー・ドラゴ演じる敵役の麻薬中毒の手下として配役されたが、台詞の少ない役どころで、本作も日本では米国映画として紹介されている。