ピーター・コヨーテ(Peter Coyote、1941年10月10日 – )、本名ラクミール・ピンカス・ベン・モーシャ・コーホン(Rachmil Pinchus Ben Mosha Cohon)は、アメリカ合衆国ニューヨーク市生まれ、ニュージャージー州出身の俳優、作家。
父方セファルディ、母方アシュケナージのユダヤ人家庭に生まれ育つ。父親は投資銀行家。母方の祖父はラビとして訓練を受けたが、徴兵を逃れて帝政ロシアから米国に移住し、ブロンクスで小さなキャンディストアを開いた。
多くのドキュメンタリー映画やオーディオブックでナレーションを務めていて、ソルトレイクシティオリンピックのオープニング・セレモニーのナレーションもコヨーテである。アカデミー賞のテレビ放送ではプロデューサーも担当している。
さらに、エメット・グローガンとともに劇団「The Diggers」を創設した1人でもある。この劇団は1960年代中期、サンフランシスコのヘイト=アシュベリー地区で1日600人近い人々に無料で公演し、サマー・オブ・ラブ。
その時、大勢の家出した若者たちのために、無料ストア、無料メディカル・クリニック、無料の家、短い期間だったが無料銀行を提供したことで有名なアナーキスト・グループだった。またコヨーテは急進的で政治的な街頭劇団「San Francisco Mime Troupe」の役者兼作家兼演出家でもあった。サンフランシスコのヒッピーたちの間ではコヨーテは有名人で、そのことで『Voices from the Love Generation』という本のインタビューを受けている。
『The Minstrel Show, Civil Rights in a Cracker Barrel』の出演・演出で最初の全国横断ツアーをし、自作の戯曲『Olive Pits』(共作にSan Francisco Mime Troupeメンバーのピーター・バーグ)ではニューヨークの「ヴィレッジ・ヴォイス」誌のオビー賞を受賞した。コヨーテは1975年から1983年にかけてCalifornia Arts Councilのメンバーを経て議長となった。
1970年代後半からは、舞台・映画俳優にシフトした。1990年代からは、テレビ番組にも出演している。
ドイツ語とフランス語に堪能である。なお、芸名の「コヨーテ」は、ペヨーテというサボテンから取られる幻覚剤を服用中、コヨーテとのスピリチュアルな出逢いをしたことから名付けられた。