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インビクタス/負けざる者たち|ひとつの願いが、ほんとうに世界を変えた物語。真実の感動ドラマ

インビクタス/負けざる者たち
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インビクタス/負けざる者たちは、2009年公開のアメリカ合衆国の映画。ジョン・カーリンの原作を基に「サウンド・オブ・サイレンス」のアンソニー・ペッカムが脚本を書き、「グラン・トリノ」のクリント・イーストウッドが監督したドラマ。南アフリカ共和国大統領ネルソン・マンデラと同国ラグビー代表チームのキャプテンとの人種を超えた友情を描く。invictusとは、ラテン語で「征服されない」「屈服しない」を意味する語。原題は直訳すれば「征服されない者(単数)」である。

インビクタス/負けざる者たち 映画批評・評価・考察


インビクタス/負けざる者たち(原題:Invictus)

脚本:32点
演技・演出:18点
撮影・美術:17点
編集:7点
音響・音楽:7点
合計81点

27年もの投獄生活から解放された後、1994年、南アフリカ共和国初の黒人大統領に選出されたネルソン・マンデラ。長年彼が訴え続けたアパルトヘイト撤廃は実現しましたが、白人と黒人の間の人種対立がまだ根強く残った翌年、同国で開催されるラグビーW杯大会を、国民統合のための絶好の機会と捉えたマンデラが、巧みな統率力で国民を1つに導いていく姿を、名匠クリント・イーストウッド監督が見事な演出で感動的に描写しました。マンデラ役を名優モーガン・フリーマンが飄々と好演し、共演のマット・デイモンもラグビー選手役を熱演しています。。

アパルトヘイトという言葉がよく劇中に使用されています。意味は黒人・白人・その他の人種の混血を避けるため、それぞれの人種を隔離・分離し、異人種間の結婚を認めないなどの人種隔離政策です。1948年に南アフリカ共和国で法律化、国際社会からの批判とともに、経済制裁、南アフリカとの貿易封鎖など、国内経済の悪化が日増しに強くなるのを受け、1991年に人種隔離政策を撤廃。これにより全人種が例外なく選挙権を享受するようになりました。

本作品の冒頭では、1990年当時、道路を挟んで片方の整備されたグラウンドで富裕層の白人たちがラグビーの練習している一方、もう片方の土のグランドでは貧困層の黒人たちが裸足でサッカーをしています。両方のグランドには柵が設けており、互いに行き来できないようにしてあるという、アパルトヘイトの象徴であるシーンから始まります。

南アフリカラグビー代表のユニフォームは金と緑を基調としており、通称はスプリングボクス(国内での愛称はボカ)と呼ばれていましたが、マンデラ政権誕生と代表チームの国際テストマッチでの連敗を機会に、黒人代表者たちがスポーツ協会での会議で、「チームカラーと愛称はアパルトヘイトの象徴である」との認識による変更を全会一致で決定するシーンがあります。そのときマンデラが登場し、黒人代表者たちに盛大に迎え入れられるのですが、マンデラは「今まで我々は白人たちに脅かされた。しかし我々は白人たちを協力する寛容の心で迎えるのだ」と会議参加者との意見の差異あるスピーチを行い、変更を阻止しました。


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インビクタス/負けざる者たち あらすじ(ネタバレ)

反アパルトヘイト運動により反逆罪として逮捕され27年を監獄で過ごしたネルソン・マンデラ(モーガン・フリーマン)は、釈放後の1994年、遂に南アフリカ共和国初の黒人大統領となる。それまで政府の主要ポストを占めていた白人官僚たちは、マンデラが報復的な人事をするのではないかと恐れ、一部の者達はそれを見越して荷物をまとめ始めていた。それに対しマンデラは、初登庁の日に職員たちを集めて「辞めるのは自由だが、新しい南アフリカを作るために協力してほしい。あなたたちの協力が必要だ」と呼びかけた。安堵した職員たちはマンデラのもとで働くこととなり、ボディーガードチームも予想に反して黒人と白人の混成チームとなった。だが彼は、国民の間に人種差別と経済格差がいまだに残されていることを痛感する。

一方、南アフリカ代表のラグビーユニオンチーム「スプリングボクス」は当時低迷期にあり、黒人選手もわずか1人という状況だった。ラグビーはアパルトヘイトの象徴として、多数を占める黒人の国民のあいだでは非常に不人気なスポーツだった。政府内では「スプリングボクス」のチーム名やユニフォームの変更を求める意見が多数を占めており、一時はその方向で決まりかけていた。しかしマンデラはこのチームが南アフリカの白人と黒人の和解と団結の象徴になると考え、チーム名とユニフォームの存続を求め周囲を説得し、一方でチームの主将フランソワ・ピナールを茶会に招いて言葉を交わし、励ました。

その後スプリングボクスのメンバーたちは、マンデラの意向で貧困地区の黒人の子どもたちにラグビーの指導に赴く。当初それを不満に感じていたメンバー達も、一連の地道な活動により、国民のあいだでチームの人気が少しずつ高まり、自分たちの存在が国内のみならず世界的に注目されていることを知るに至った。

そしてスプリングボクスは、自国開催の1995年ラグビーワールドカップにおいて予想外の快進撃を見せ、ついに決勝進出を果たす。今や新生南アフリカの象徴として見られるようになったスプリングボクスは、全南アフリカ国民が見守る中、強豪ニュージーランド代表オールブラックスとの決勝戦に臨む。

ヨハネスブルグのエリスパークスタジアムであらゆる人種の大勢のホーム観衆に支えられ、ピナールは決勝に向けてチームメイトを鼓舞した。試合直前、南アフリカ航空のボーイング747-200型旅客機がスタジアム上空を低空飛行し、マンデラ氏の警備担当者は恐怖にさらされた。しかし、これは暗殺未遂ではなく愛国心の表明であり、飛行機の翼の下面には「頑張れ、ボッケ」(スプリングボックスのアフリカーンス語の愛称)というメッセージが描かれている。マンデラが試合前にスプリングボクスのキャップをかぶり、ピナールの6番ジャージのレプリカを着てフィールドに到着したことでも有名だ。

スプリングボクスは、フライハーフのジョエル・ストランスキーのドロップゴールのおかげで、延長戦でオールブラックスを15対12で破り、連勝を飾る。マンデラとピナールはあり得ない予想外の勝利を祝うためにフィールドで一緒に会い、スプリングボクスが今やラグビーユニオンの世界チャンピオンになったため、マンデラはピナールにウィリアム・ウェブ・エリス・カップを手渡した。その後、マンデラ氏の車はスタジアムを出て渋滞した通りを走り去った。群衆の歓声を理由に警備チームがルートを変更したいと考えているため、急ぐ必要はないと主張する。マンデラさんが路上で一緒に祝う南アフリカ人たちを車から眺めていると、再び「インビクタス」を唱える彼の声が聞こえた。

インビクタス/負けざる者たち スタッフ

監督:クリント・イーストウッド
脚本:アンソニー・ペッカム
原作:ジョン・カーリン
製作:ロリー・マクレアリー,ロバート・ロレンツ,メイス・ニューフェルド,クリント・イーストウッド
製作総指揮:モーガン・フリーマン,ティム・ムーア,ゲイリー・バーバー,ロジャー・バーンボーム
音楽:カイル・イーストウッド,マイケル・スティーヴンス
撮影:トム・スターン
編集:ジョエル・コックス,ゲイリー・D・ローチ
制作会社:スパイグラス・エンターテインメント
配給:ワーナー・ブラザース

インビクタス/負けざる者たち キャスト

ネルソン・マンデラモーガン・フリーマン
アフリカ民族会議の議長。南アフリカ初の黒人大統領となる。
フランソワ・ピナールマット・デイモン
「スプリングボクス」のキャプテンでオープンサイドフランカー。
ジェイソン・シャバララトニー・キゴロギ
リンガ・ムーンサミパトリック・モフォケン
ヘンドリック・ボーイェンズマット・スターン
エティエンヌ・フェイダージュリアン・ルイス・ジョーンズ
ブレンダ・マジブコアッジョア・アンドー
ネリーンマルグリット・ウィートリー
フランソワの妻。
メアリーレレティ・クマロ
Mr.ピナールパトリック・リスター
フランソワの父。
Mrs.ピナールペニー・ダウニー
フランソワの母。
ジョエル・ストランスキースコット・イーストウッド
「スプリングボクス」の選手。

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