スポンサーリンク

アレキサンダー大王|世界征服を目指した伝説の英雄、アレキサンダー大王の波瀾の人生を描いた歴史超大作

映画 アレキサンダー大王
この記事は約4分で読めます。

アレキサンダー大王は、1956年公開のスペイン・アメリカ合衆国合作映画。“アレキサンダー大王”と呼ばれた古代ギリシア・マケドニア王国の国王アレクサンドロス3世の生涯を描いた歴史劇映画。紀元前4世紀、世界統一の理想を説き世界制覇の戦いに臨みながら、若くして熱病によってこの世を去った”アレキサンダー大王”の一生を描く。

アレキサンダー大王 映画批評・評価・考察


アレキサンダー大王(原題:Alexander the Great)

20歳にして王となり、わずか10年でヨーロッパとアジアを支配した若き英雄アレキサンダー。戦士でありながら教養も身にまとった気高き人物の栄光と苦難に満ちた短い生涯を、硬派な名匠ロバート・ロッセン監督が4年の歳月をかけて史実に忠実に映画化。リチャード・バートンら米・英・仏の俳優による重厚な演技や、壮大な行軍シーンを圧倒的な迫力で見せつけます。
バーフバリ』が好きな人にお薦めの作品で、色濃く影響受けていることが観られます。

アレキサンダー大王 あらすじ(ネタバレ)

アレキサンダー大王

紀元前4世紀。マケドニアの王フィリップ(フレドリック・マーチ)は、ギリシャの都市を次々に陥落させていった。戦勝の夜、王妃オリンピア(ダニエル・ダリュー)から男子出産の報が届いた。子供はアレキサンダーと名付けられた。王はアリストテレス(バリー・ジョーンズ)を招いて息子の師とした。

この間にもフィリップは征服の戦を続けていた。王は息子を首都ペラに招き、国務に当らせた。20歳に満たないアレキサンダー(リチャード・パートン)は、父母の不和に悩みながらも、よく国を治めた。一方、アテネとの戦は決着がつかず、遂にアレキサンダーも加わり、彼の力で大勝を得た。彼は大使としてアテネに赴き、軍事同盟を結んだ。此処で彼はメムノン将軍(ピーター・カッシング)の妻バルシネ(クレア・ブルーム)と出逢い、心惹かれた。

この頃故郷ペラではフィリップはオリンピアを離婚し、若いユーリディスと結婚した。その祝宴の夜、アレキサンダーの不満は爆発、公衆の面前で父を侮辱した怒った王は、彼とオリンピアを追放した。その後、王はペルシャ侵略を計ったが、それにはアレキサンダーが必要だった。王は母子を許した。出征前夜のこと、フィリップ王は暗殺者の刃に倒れた。アレキサンダーは王位を継ぎ、世界統一の理想を説き、世界制覇の旅についた。

めざすはペルシャ。グラニカス河畔で、バビロンの王ダリアストメムーン将軍のペルシャ連合軍は、アレキサンダーの軍に打ち破られた。数多い捕虜の中にバルシネの姿があった。彼は愛を告白したが、バルシネは征服者として彼を受け入れなかった。しかし、ここに重大な事件が起こった。ダリアスがアテネと気脈を通じたのである。幕僚は一時退却を進言した。しかも、アレキサンダーは熱病にとりつかれた。病気の看病を通じ、パルシネと彼の心は固く結ばれた。戦機は熟し、両軍はアッシリアで激突、数に劣るアレキサンダーの軍はよく戦い、敵を打ち破った。勝った彼はペルシャ人との親和を計るため、両国人の結婚を奨励し、自分もダリアスの王女と結婚した。だが、彼の恋人はパルシネだった。部下は早く故郷へ帰りたがっていた。

アレキサンダーがインド侵攻を発表するや、一事軍隊は反抗したが、彼は持ち前の勇気と弁舌でこれを鎮めた。制覇の直前、彼は再び熱病にとりつかれ、33歳の若さで死んだ。

アレキサンダー大王 スタッフ

監督:ロバート・ロッセン
脚本:ロバート・ロッセン
製作:ロバート・ロッセン
音楽:マリオ・ナシンベーネ
撮影:ロバート・クラスカー
編集:ラルフ・ケンプレン
製作会社:C・B・フィルムズ,ロッセン・フィルムズ
配給:ユナイテッド・アーティスツ,松竹外画部

アレキサンダー大王 キャスト

アレキサンダー大王:リチャード・バートン
フィリッポス2世:フレドリック・マーチ
バルシネ:クレア・ブルーム
オリュンピアス:ダニエル・ダリュー
ダレイオス3世:ハリー・アンドリュース
メムノン:ピーター・カッシング
アッタロス:スタンリー・ベイカー
アンティパトロス:フリードリッヒ・フォン・レデブール
パルメニオン:ナイアル・マクギニス
デモステネス:マイケル・ホーダーン
エウリュディケ:マリサ・デ・レサ
アリストテレス:バリー・ジョーンズ
クレイトス:グスターヴォ・ロホ
アイスキネス:ウィリアム・スクワイアー
パウサニアス:ピーター・ウィンガード
ネクテナバス:ヘルムート・ダンティーン

アレキサンダー大王 予告編・無料動画