アンネの日記は、1959年公開のアメリカ合衆国の映画。日本でも翻訳出版されて好評を博したアンネ・フランクの『アンネの日記』の映画化。製作・監督は「ジャイアンツ」のジョージ・スティーヴンス。第12回カンヌ国際映画祭ではコンペティション部門で上映された。1959年度アカデミー賞では作品賞を含む8部門でノミネート。うち、3部門受賞! (助演女優賞、撮影賞(白黒)、美術監督・装置賞(白黒)。
アンネの日記 映画批評・評価・考察
アンネの日記(原題:The Diary of Anne Frank)
15歳で短い生涯を閉じたアンネ・フランクの日記を元に、『ジャイアンツ』の名匠ジョージ・スティーヴンスが、彼女の喜びや悲しみをそのまま描き出し、世界中の人々が涙を流した感動の名作です。
アンネを演じるのは、1万人の候補者の中から選ばれた瞳が美しい、ミリー・パーキンス。多感な少女の恋への憧れ、大人への疑問、そして同居人ペーターとの間に芽生えた淡い初恋など、アンネの心の軌跡をゆたかな感性と素直な演技でたどってゆきます。最後のペーターと別れの口付けを交わすシーンは決して忘れられない悲しい場面で有名です。「アンネの日記」は映画化、テレビ映画化が何度かなされているが、本作が最初の映画化になります。
アンネの日記 あらすじ(ネタバレ)
1945年、ナチ占領下から解放されたアムステルダム。強制収容所を出たオットー(ジョゼフ・シルドクラウト)は、想い出の屋根裏部屋に戻って来た。そこで娘アンネ(ミリー・パーキンス)の書いた日記をみつけた。日記は1942年7月9日から始まる。アンネの父オットーはユダヤ人で、母はオランダ人だった。姉マーゴット(ダイアン・ベーカー)とアンネはドイツで生まれた。ヒットラーが政権をとるとユダヤ人の排斥が始まった。アンネ一家は親友のバン夫妻と息子ピーター(リチャード・ベイマー)と共に、オランダへ亡命した。隠れ家の屋根裏部屋の下は香味料工場で、オットーは家族にいろいろと注意を与えた。姉妹はピーターと親しくなった。両親は耐乏生活に苦労した。戦争は連合軍側に有利になった。その頃、家主のミープ(ドディ・ヒース)がオットーに1人同居人を入れてくれと頼みにきた。彼はデュッセル(エド・ウィン)というユダヤ人の歯医者だった。デュッセルは一家の人々に、ナチのユダヤ人殺害の話をした。アンネはその話を聞き、ある晩夢を見て悲鳴をあげた。毎年12月に行われるユダヤ人のハヌカ祭が、屋根裏でささやかに開かれた。アンネは父に手編みのマフラーの贈物をした。その時、階下で物音を聞いた。泥棒が入ったらしい。おびえたアンネはピーターに抱きついた。デュッセルはピーターが音を立てたと彼を責めた。泥棒が捕まった時、その物音から自分たちの所在がばれるのを恐れたからだ。新年を迎え、アンネも女性らしくなった。ある日、階下の倉庫で働いているカールという男が、屋根裏部屋のことで階下のクラレルを脅迫した。アンネとピーターは愛し合うようになった。アメリカ軍がイタリアに上陸すると、ピーターは自由オランダ義勇軍に参加するといった。ある日、ミープが盗まれたタイプライターのことで、アンネたちの所在がゲシュタポに知られたことを告げにきた。8月のある日、遂に来るべきものが来た。サイレンを鳴らした警察の車が階下に止った。今はすべてを覚悟したアンネは、ピーターに別れの、そして最後の接吻をした。人間の善意は永遠に失われないことを信じて、アンネは死の収容所に向かうのだった。
アンネの日記 スタッフ
監督:ジョージ・スティーヴンス
脚本:フランセス・グッドリッチ,アルバート・ハケット
原作:『The Diary of Anne Frank』(1955年、戯曲、フランセス・グッドリッチ、アルバート・ハケット)『アンネの日記』(1947年、アンネ・フランク)
製作:ジョージ・スティーヴンス
音楽:アルフレッド・ニューマン
撮影:ウィリアム・C・メラー
編集:デヴィッド・ブレサートン,ロバート・スミス,ウィリアム・メース
配給:20世紀フォックス
アンネの日記 キャスト
アンネ・フランク:ミリー・パーキンス
オットー・フランク:ジョセフ・シルドクラウト
ファン・ダーン夫人:シェリー・ウィンタース
ペーター・ファン・ダーン:リチャード・ベイマー
エディス・フランク:グスティ・ユーベル
ファン・ダーン氏:ルー・ジャコビ
マルゴット・フランク:ダイアン・ベイカー
アルベルト・デュッセル:エド・ウィン
クラーレル:ダグラス・スペンサー
ミープ:ドディ・ヒース