片腕ドラゴンは、1972年公開の香港映画。伝説のドラゴン、ジミー・ウォング監督・主演映画。日本では1974年に東宝東和配給で公開された。後の映画界に多大な影響を与えたカンフー・アクションの金字塔!アジア、欧米で大ヒット、あのクエンティン・タランティーノやウォシャウスキー姉妹らも絶賛。
片腕ドラゴン 映画批評・評価・考察
片腕ドラゴン(原題:獨臂拳王、英題:One-Armed Boxer)
脚本:25点
演技・演出:15点
撮影・美術:12点
編集:9点
音響・音楽:9点
合計70点
好みの分かれる作品ですが、画期的な作品という評判に偽りはなく、登場キャラクターはもちろん、編集や音楽もユーニクかつ独創的です。これを見るとクエンティン・タランティーノの影響され具合がかなりのものだと分かります。またブルース・リーやジャッキー・チェン、サモ・ハン・キンポーなどの映画が高尚なもに感じてしまうほど、バイオレンスホラーよりの作風をこの時代にやっていることがすごいと思えます。主人公が片腕になるまでは、普通のカンフー映画なんですが、片腕になった後のストーリーは独創的でギャグともバイオレンスとも見れてしまう演出の数々です。
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片腕ドラゴン あらすじ(ネタバレ)
効外に煉瓦工場と染色工場を経営しているハン・ツイは、町に武道の道場を持ち、多くの若者たちの武道の訓練と人格の向上につとめ、人々から人格者として尊敬されていた。一方、近くにもう一つ道場があったが、それは、麻薬と売春で儲けているチャオ・ラ・ルーがひらいている道場で、一味はいつも手鉤を武器として持ち歩いていることからフック・ギャングと呼ばれ、町の人々から嫌われていた。チャオは、かねてからハン・ツイの経営している二つの工場に眼をつけ、何とかして手に入れようと狙っていた。
ある日、町の料理屋で、チャオの高弟マー・ムー・トンと、ハン・ツイの愛弟子ユー・チェン・ルンが対立し、ハン一門の若者たちとフック一味が町外れの谷で決着をつけることになった。大乱闘の末フック一味は敗走したが、ハン一門にも二人の死者と多くの負傷者が出た。この事件を知ったハン・ツイ先生は、原因はともあれ、血気にはやっての無意味な戦いをいましめ、責任者であるチェン・ルンを処罰した。ハン先生がチャオに詑びにいこうとした矢先に、部下を従えたチャオが道場に乗り込んできて、チェン・ルンの引渡しを要求した。ハンがこれを断わったことから、ふたたび死闘が展開し、最後にハンとチャオの対戦となったが、チャオは傷をうけて引きあげた。
チャオは復讐のために、各国から武道の専門家を雇いこんだ。沖縄の空手の達人、二谷太郎と高弟二人、韓国の武道の名人チン・チー・ヨン、タイのボクシング選手ツイ兄弟、インドのヨガの先生ムラ・ツン、日本の柔道四段の高橋、さらにチベット戦法の名人の二人のラマ僧。こうした各国各流儀の武道の達人たちの助太刀を得て、ハン・ツイ一門に決戦を挑むことになった。
再度、ハンの道場で死闘が開始された。だが、さすがに各国から集められた武道の専門家たちは強かった。門下生たちは次々に殺され、チェン・ルンも二谷の怪力で右腕を肩のつけ根から叩きとられてしまった。ハン一門はほとんど全滅した。
片腕を失い、九死に一生を得て逃れたチェン・ルンは、通りかかった父娘に助けられた。娘のシャオ・ユーの手厚い看護で傷はいえたが、今では左腕一本となっていた。片腕ではフック一味への復讐をとげることは無理だ。そんな彼の苦悩を知ったシャオ・ユーは、かねてから父が研究している秘薬を使うことをすすめた。残された左腕一本を攻防の武器とするためには二本分の強さが必要だ。彼女の父が作った秘薬は、まず手を火で焼いて全神経を殺してから、ふたたび神経の循環を復元するというもので、チェン・ルンはついに鉄よりも堅い左腕をもつことに成功した。
それから半年たち、チェン・ルンには自信がついた。シャオ・ユーと町にでたチェン・ルンは、柔道の高橋を血祭りにあげ、チャオに対して三日後、町外れの石切場での決戦を挑んだ。チャオに雇われた武道の専門家たちは勢揃いした。しかし、鉄の片腕を持つチェン・ルンにかなう者はいなかった。
片腕ドラゴン スタッフ
監督:ジミー・ウォング
脚本:ジミー・ウォング
製作:レイモンド・チョウ
製作総指揮:ジミー・ウォング
音楽:F・L・ウォング
撮影:J・S・モウ
アクション指導:チェン・シーウェイ
製作会社:嘉禾電影有限公司,香港正明影業
配給:東宝東和
片腕ドラゴン キャスト
チェンロン:ジミー・ウォング
シャオユー:タン・シン
カン:マー・チ
チョウ:ティエン・イー
マー:レイ・シュン
二谷:ロン・フェイ